人間は誰でも裸で生まれる。15年前、名古屋で生まれたぼくもそうである。ところが、幼稚園に通うようになってから、不思議な経験をした。そこでやりとりされることばと、街で使われていることばが違っていたのだ。それがなぜ違うのかわからなかった。ぼくが通ったのは朝鮮人の幼稚園だった。小学校に入ったのは倉吉に移ってからだ。クラスメートはKというばくの姓を聞いてばかにした。ぼくはこの時初めて、自分が朝鮮人であることを知り、心の中を冷たい風が吹きぬけるのを感じた。
「どうしてばくだけが。」「この教室の中でなぜぼく一人が。」と悩んだことを覚えている。中学校に入ってからは、生徒会などでリーダーとして活動していることもあってか、からかわれることもなかった。かえって、友達から日本名で呼ばれると、違和感を感じたりした。しかし、それを違和感として感じるまでには朝鮮人であるばくがなぜ日本にいるのかを知らなくてはならなかった。
今、日本には60万人以上の朝鮮人がいる。これらの大部分は、満州事変後、日本の労働力不足を補うため、強制的に連れてこられた人々やその子孫である。ばくの家族もそうである。祖母と父と母、二人の妹とぼくをいれて6人家族。祖母は一世、父と母が二世、ばくと妹は三世だ。祖父母たち一世が若かった頃は炭鉱や工場で重労働を強いられ、臭い便所の中をかいくぐって脱走するものさえあったそうである。
二世である父の戦前・戦後も朝鮮人への差別は厳しかった。貧しい中からやりくりして学校へ通わせてくれた父母の家計を助けるため、高校卒業後、日本の会社に就職願書を出したが、送り返された。朝鮮人だというのが、その拒絶の理由だった。父はそういう民族差別の壁に泣かされたそうである。そして父は今、母とともに廃品回収業を営んでいる。
日本人にとって朝鮮人は外国人である。だから、区別することは一向にかまわない。しかし、なぜ差別されなければならないのだろうか。朝鮮人が日本で暮らすことになった根本の責任は日本人にある。このことを考えるならば、差別は許されるべきものではない。けれども、現実には朝鮮人は差別の中に置かれているのだ。
日本は経済面で高度成長を遂げ、大国として世界の注目と期待を集めている。経済大国を作りあげた日本人の英知と努力は、これらの差別をなくすことにもふり向けられてよいのではないか。黒人問題など海外の差別には敏感に反応する日本人が、国内の差別問題に鈍感なのは不思議でならない。朝鮮人であるぼくにとって望ましいのは、外国人として区別されることだ。区別は、共通点よりも相違点を重くみるところから出発する。自分と違うものを持った人を、差別するのでなく尊重し認め合うのが今の世界の流れなのだ。
最近、ぼくを力づけ、希望を与えてくれる二つの出来事があった。一つは、在日朝鮮人の金敬得氏が、司法試験に合格し、ぼくたちに弁護士への道を広げてくれたこと。もう一つは、外国人でも国公立大学の教授に採用しようという法案が、国会に提出されていることだ。これらの出来事は、外国人への差別が徐々にとり除かれ、その権利が尊重されつつあることを意味している。つまり、区別されるようになったのだ。
日本に生まれ、日本で育った三世であるぼくに、日本文化が与えた影響は大きい。また、差別の日々も知っている。しかし、そのような中で、朝鮮人の誇りを持って生きるためにも、日本人から正しく区別されたいと思うのである。
今でこそ多くの在日朝鮮人が強制連行でつれてこられたというのは幻想にすぎない
ちなみに、この作文の文面からして、この方は韓国ではなく北朝鮮(朝鮮総連)系の方ですね。




